サステナビリティ・ガバナンスの観点から読み解く「取締役会5原則」
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コーポレート
ガバナンス Corporate
Governance - 指名・人財 Nomination/HR
- 報酬 Compensation
- サステナビリティ Sustainability
HRガバナンス・リーダーズ株式会社
パートナー
今井 由美子
HRガバナンス・リーダーズ株式会社
マネージャー
藤井 裕貴
■ サマリー
2025年4月、経済産業省は「稼ぐ力」の強化に向けたコーポレートガバナンスガイダンス(以下、CGガイダンス)を策定・公表し、同ガイダンスにおいて取締役会5原則を公表した。取締役会5原則は、日本企業が中長期の時間軸で企業価値を高めていくための基本に言及したものであり、企業の持続可能な経営を「稼ぐ力」をもって実現するために取締役会及び経営陣が備えるべき必要事項、すなわちサステナビリティ・ガバナンスの要諦について定めている。特に、原則1、2、3については、企業の中長期戦略の策定・推進に関連する内容であり、将来財務を包含するものと捉えることができる。
原則1で提言されている「価値創造ストーリーの構築」の最初のステップは長期視点にもとづいた重要課題(以下、マテリアリティ)の特定である。マテリアリティは、長期の社会変化(メガトレンド)の中で自社の経営環境がどのように変化するかを踏まえたシナリオ分析を実施の上で、特定することが望ましい。また、価値創造ストーリーは、将来の自社の成長についてステークホルダーに対して論理的に示すべきものである。それゆえ、特定したマテリアリティを解決する際に自社のビジネスモデルを通じて創出するアウトプット、アウトカムの流れを整理し、最終的に創出されるインパクトについても取締役会で議論したうえで、開示することが重要であると考える。
原則2及び原則3に関しては、取締役会が中長期目線の経営を後押しするために、取締役会で決定した長期の方向性に基づき、執行サイドにおいても社会への創出価値であるインパクトを考慮したマネジメントの仕組みを構築することが重要であると考える。加えて、マテリアリティの解決に向けた経営戦略及び取組みの状況を統合報告書やインパクトレポート等を通じて開示し、株主・投資家と対話を促進することが重要である。
取締役会5原則は、取締役会が主体となって企業がサステナビリティ経営を推進するための方向性を示すとともに、経営陣が戦略を実行するにあたり取締役会がその後押しをすることを求めている。中長期の時間軸に基づきマテリアリティを特定することをスタートとして、それらに係る取組みとマネジメントに係る監督や助言、株主・投資家との対話のサイクルを構築することがサステナビリティ・ガバナンスの要諦である。それらを通じて「価値創造ストーリー」の継続的なアップデートを行い、Good Businessを企業として体現することで、企業の持続的な成長が可能となると考えられる。
目次
1.はじめに
2025年4月、経済産業省は「稼ぐ力」の強化に向けたCGガイダンスを策定・公表しました。企業が「稼ぐ力」の強化に向けて経営を推進するには、中長期の時間軸に基づく価値創造ストーリーを構築し、そのストーリーに基づいた事業ポートフォリオの検討や成長投資(研究開発や人材投資等)の実行が肝要です。こうした経営を推進する上で取締役会が踏まえるべき内容と経営陣がとるべき行動の双方について整理したものが取締役会5原則です。この原則においては、「長期的な経営環境変化の適切な分析」「短期志向に陥らない」「中長期の時間軸」等の時間軸に係る言葉が意識的に使用されており、将来にわたって企業が自社の企業価値を高めていくこと、すなわち企業の持続可能性=サステナブルな経営に深く関連する内容が整理されています。そこで本メルマガでは、サステナビリティ・ガバナンスの観点から取締役会5原則を読み解き、取締役会、そして経営陣が自社の持続的な成長を実現するうえでのポイントについて考察します。
2. 取締役会 5 原則とサステナビリティ・ガバナンス、サステナビリティ経営の関係
まず、取締役会5原則とサステナビリティ経営の関係を整理します。図1は、取締役会5原則を示したものであり、企業の中長期戦略の策定・推進に関わるものが「原則1、2、3」であり、サステナビリティ経営を実現するための必要事項についての記載と言えます。続く「原則4、5」はサステナビリティ経営に係る戦略や取組みを、実効性をもって推進していくための経営執行体制の強化に係るものと捉えることができます。このうち、特に原則1は、「自社の競争優位性を伴った価値創造ストーリーを構築する」ために取締役会と経営陣がどのように向き合うべきかを提示しており、経営陣が策定した価値創造ストーリーについて、必要事項が反映されているかどうかを踏まえつつ取締役会にて議論することを求めています。そして原則2及び原則3では、原則1で策定した価値創造ストーリーを実現するための業務執行に関する内容をまとめており、取締役会が経営陣の適切なリスクテイクを後押しすること、中長期の目線に立って経営執行チームをサポートすることが明記されています。これらは経営陣がサステナビリティ経営を推進することを取締役会が支えるという構図を示しており、その双方を充足することでサステナビリティ・ガバナンスを実現し、ビジネスの持続的な成長の基盤を構築していくという考えを示したものと捉えることができます。次章以降で、5つの原則のうち原則1、2、3についての詳細な内容に触れながら、企業がそれらを体現する際のポイントを考察します。
図表1
取締役会5原則の概要

3. 価値創造ストーリーの構築に向けたマテリアリティの特定
前述の通り、原則1では取締役会が「価値創造ストーリーの構築」にコミットすることが求められています。価値創造ストーリーとは、「企業が長期に目指す姿の実現に向けて、自社のビジネスモデルを通じて社会課題を解決することで、どのように長期的な企業価値向上に結び付けていくかの一連の流れ(ストーリー)」を指します。この原則1では、図表2の通り、取締役会において、経営陣が策定した価値創造ストーリーの案の妥当性を確認するポイントが述べられています。すなわち、(潜在的な強みを含む)自社の強みと関連した内容となっているか、社会課題やステークホルダーについて考慮しているか、長期の経営環境の分析に基づき複数のシナリオを考慮したものか等がその具体的内容です。
図表2
原則1「価値創造ストーリーの構築」

企業が中長期的にその価値を向上させていくためには、将来にわたっても社会からその存在を期待され続けることが必要条件です。したがって、この「価値創造ストーリー」の構築にあたり最初のステップとなるのは「自社がどのような社会課題を解決して、企業価値を向上させていきたいのか」を明確にすること、つまり企業にとってのマテリアリティ(重要課題)を特定することです。原則1の内容に鑑みると、マテリアリティの特定にあたり、まず長期の時間軸で自社を取り巻く経営環境を分析するとともに、社会の大きな変化(メガトレンド)を把握する必要があります。それらを踏まえ、想定される複数のシナリオに基づいて、自社が解決すべきマテリアリティが何かを取締役会において議論することを求めています。執行サイドではそれらを解決するための経営戦略を講じる役割を担います。すなわち、中長期の経営計画は、マテリアリティを解決するための具体的手段であるという理解となります。
これまでのところ、コーポレートガバナンス報告書において記載が求められていることから、東証プライム上場企業を中心にTCFD提言に基づいた気候変動のシナリオ分析による戦略策定とその開示が進んできました。一方、原則1の内容を踏まえると、今後は気候変動のみならず自社のビジネスに関連するメガトレンドの全容を把握し、分析することが求められることから、想定する中長期的なシナリオを自社で描き設定する必要があると考えます。また、マテリアリティを特定する役割を取締役会が担う所以は、中長期視野のもとで議論を行い意思決定するところにあります。執行サイドではどうしても短期での取組み事項が優先される傾向にあり、リソースの配分に関する意思決定もそれに倣うことになりがちです。パーパスの実現に向けて、監督サイドと執行サイドが協働し、互いの役割を認識しつつ、価値創造ストーリーを磨き上げていくことが肝要と言えるでしょう。
また、価値創造ストーリーは、自社の強みを活かしたビジネスを展開することで、どのように社会課題(=マテリアリティ)を解決し、将来の企業価値を高めていくかを説明できる必要があります。そのためには、株主・投資家をはじめとするステークホルダーに対して、起こり得る将来の事象も含めて説得力のある成長ストーリーを語らなければなりません。将来の自社への成長期待を喚起するためには、これからのビジネス、すなわち未然の事柄についての確信や納得感につながる説明が求められるため、価値創造ストーリーにおいては高度な論理性が不可欠といえるでしょう。現在、多くの企業が統合報告書の価値創造プロセス等において、アウトプット(自社への便益)及びアウトカム(自社が社会に創出する便益)を検討し開示しています。しかし、各社共通に「価値創造プロセスがうまく投資家に伝わらない」「アウトプットとアウトカムの繋がりがうまく整理できない」等の課題を有しています。そこでまずは、マテリアリティと自社のビジネスの関係性を明確にすることが、価値創造ストーリーに説得性と論理性を担保するための第一歩となります。そのうえで、自社がビジネスを通じて創出するアウトプット、アウトカム、そして社会的価値であるインパクトを創出するまでの一連の流れ(ロジック)を整理し、論理的に説明していくことが次のステップとなると考えます。この過程においては、より解像度を上げて創出価値について述べていくことが望ましく、その具体性を高めるためには、社会へ創出するアウトカムを定量化した社会的価値(インパクト)を分析し、可視化することが有効です。インパクトの測定・可視化においては様々な方法論・手法が議論中ではありますが、その可視化により、企業は売上や収益等をはじめとする既存の創出価値に加えて、社会や環境等に与える正負の影響度を考慮した創出価値をステークホルダーと共有することが可能となります。加えて、自社内においても、原則2にある「事業ポートフォリオの組替え」や「今後の成長投資」の検討に際し、社会的価値も考慮した意思決定を行うことを視野とすることが可能となります。
原則1と3においては「株主・投資家との対話」や「資本市場からの評価も踏まえつつ」との記載があり、前述の「長期視点にもとづいたマテリアリティ」と「それらの解決のために行うビジネス」「そのビジネスを通じて創出したインパクト」について株主・投資家と対話を行い、その評価を得ることを求めています。つまり、企業価値の向上に向けた価値創造ストーリーを直接的な対話、もしくは統合報告書やインパクトレポート等の媒体を通じてコミュニケートし、株主・投資家との対話の質をより高めていくことが求められていると言えます。
図表3
取締役会において議論することが望まれる価値創造ストーリーのイメージ

4. 経営陣による中長期目線の経営の後押しとそれを可能とするガバナンス体制の構築
原則3の経営陣がとるべき行動では、「短期的な成果をあげることを過度に意識せず、価値創造ストーリーを基に、中長期目線で業務を執行」することを明記しています(図表4)。一方、企業の経営会議においては、単年度の目標に対する進捗に議論が集約され、長くとも中期経営計画のタイムスパンを視野とした施策の検討に留まることが多いものと想定します。
図表4
原則3「経営陣による中長期目線の経営の後押し」

こうした状況を解消するためには、執行サイドにおいても中長期の時間軸で事業の進むべき方向性を検討し、適切な意思決定ができる仕組みと環境を整備する必要があります。中長期のシナリオに基づき自社が向かう方向性を議論することがその第一歩となるのは前述の通りですが、その取組みや意思決定を支持するステークホルダーの存在もまた重要となります。原則3では資本市場からの評価を考慮するよう述べていますが、まずはステークホルダーから評価を獲得するための施策を講じるところから始めなければなりません。そうした意味で価値創造ストーリーを内実ともに磨き上げていくことはもとより、前述のインパクトの可視化が有効であると考えられます。企業が創出する社会的価値が何であり、その大きさがいかほどかを明確にすることで、ステークホルダーは目に見えない将来の創出価値について具体的に想像することが可能となります。そこに魅力を感じるステークホルダーを味方につけること、自社への理解がある支持者をひきつけることは、企業が将来的な成長の蓋然性をさらに高めていくための大きな力添えとなると考えます。
また、取締役会5原則においては、価値創造ストーリーを一度構築して終了するのではなく、株主・投資家との対話を重ねながら磨き上げていくことを求めています。この点を考慮すると、株主・投資家をはじめとする外部のステークホルダーとの対話の結果及び評価を担当役員等から取締役会に報告し、対話内容に基づいて、戦略やそれらに係る取組みを常に柔軟に見直す仕組みを構築することが重要であると考えます。
5. 最後に
本メルマガでは、取締役会5原則のうち、特に企業の中長期戦略の策定・推進に関わる原則1、2、3について取り上げ、サステナビリティ・ガバナンスの観点から紐解いてきました。今回の取締役会5原則は全体を通じて、取締役会に対して長期の視点にもとづいた社会課題の解決と自社の成長戦略の構築をリードすることを期待する内容となっており、取締役会はこれまで以上にその役割を認識したうえで、長期的に企業価値を高めていくことが求められるでしょう。企業が価値創造ストーリーを具体的に構築・推進していくために、長期の社会変化(メガトレンド)を考慮したシナリオ分析に基づきマテリアリティを特定し、自社が向かう方向性を決定すること、そしてその中長期方針に基づいて執行サイドにおいても社会的インパクトを考慮したマネジメントの仕組みを構築するとともに、その状況を取締役会においてモニタリングできる体制の構築が重要となります(図表5)。また、それらの仕組みと取組みは、投資家をはじめとするステークホルダーとの対話を通じてアップデートされていくべきものであり、統合報告書やインパクトレポート等を通じた企業サイドのプロアクティブなコミュニケーションが肝要です。これらの一連のサイクルを確立することで、企業はサステナビリティ・ガバナンスを実現し、持続的にGood Businessを継続することが可能となり、ステークホルダーの支持を獲得しながら「稼ぐ力」を将来にわたり発揮し続ける存在となり得ると考えます。
図表5
サステナビリティ・ガバナンスのイメージ

参考文献
- ・日経ビジネス雑誌版(2025年6月)政府の新原則を策定当事者が語る 取締役会、稼ぐ力上げる「5原則」
- ・旬刊商事法務No.2397(7月25日号)「『稼ぐ力』を強化する取締役会5原則」と取締役会実務等の変容
Opinion Leaderオピニオン・リーダー
HRガバナンス・リーダーズ株式会社
パートナー
今井 由美子 Yumiko Imai

HRガバナンス・リーダーズ株式会社
マネージャー
藤井 裕貴 Yuki Fujii
