インサイダー取引規制の改正動向
―株式報酬に係る軽微基準の見直し―
-
コーポレート
ガバナンス Corporate
Governance - 指名・人財 Nomination/HR
- 報酬 Compensation
- サステナビリティ Sustainability
HRガバナンス・リーダーズ株式会社
マネージャー 弁護士
アロン・J・トーマス
■ サマリー
上場会社が、株式報酬としての株式の発行等に係る決定をする場合におけるインサイダー取引規制上の「重要事実」から除外される軽微基準は、現行の取引規制府令では、払込金額が1億円未満であると見込まれていることとされています。
2024年9月27日、株式報酬に係る軽微基準が、ⓐ希薄化率が1%未満であると見込まれること、ⓑ価額(時価)の総額が1億円未満であると見込まれること、のいずれかに該当する場合、に改正されました。
希薄化率は、割当日に付与する株式の数を、基準日における発行済株式総数(自己株式を除きます。)で除して計算します。基準日は、割当日の属する事業年度の直前の事業年度の末日、株式併合・株式分割・株式無償割当ての効力発生日のうち、いずれか最も遅い日です。
改正取引規制府令は、2025年4月1日から施行されます。
本メルマガにおける用語の凡例:
金商法 |
金融商品取引法 |
取引規制府令 |
有価証券の取引等の規制に関する内閣府令 |
令 |
金融商品取引法施行令 |
改正取引規制府令 |
「有価証券の取引等の規制に関する内閣府令の一部を改正する内閣府令(令和6年内閣府令第83号)」による改正後の取引規制府令 |
目次
1.はじめに
上場会社が、役職員に対して株式報酬を支給するために新株発行または自己株式処分(以下「株式の発行等」といいます。)を行う場合、上場会社としては、①当該株式の発行等がインサイダー取引規制上の「重要事実」に該当するか、②当該株式の発行等がインサイダー取引規制の対象となる「売買等」に該当するかという点に留意する必要があります(金商法166条)。
このうち、上記①の点については、現行法上、払込金額の総額が1億円未満であると見込まれる場合には軽微基準に該当し、重要事実から除外される一方で、1億円以上であれば重要事実に該当するものとされています(金商法 166 条 2 項 1 号、取引規制府令 49 条1項1号イ)。
そのため、株式報酬の支給にあたって払込金額が1億円以上となる場合、当該事実を公表するまでは、自己株式取得等のコーポレートアクションができないなどといった支障が生じうることから、1億円以上であっても、時価総額に比して発行価額が僅少である場合等、投資者の投資判断に及ぼす影響が軽微である場合には、インサイダー取引規制上の重要事実に該当しないようにしてほしいとの要望が経済界から出されていたところでした1 。
また、令和元年会社法改正により、取締役又は執行役に対する株式報酬の場面に限って解禁された、いわゆる無償発行(無償交付)では、払込みを要しないとされている以上(会社法202条の2)、払込金額はゼロとなり、常に軽微基準に該当してしまうように思われますが2 、現物出資構成の場合とのバランスの悪さが指摘されていました3 。
そこで、金融庁は、2024年6月12日、ⓐ希薄化率が1%未満であると見込まれること、ⓑ価額(時価)の総額が1億円未満であると見込まれること、という新たな軽微基準を設ける旨の取引規制府令の改正案を公表し4 、パブリックコメントを経た上で、2024年9月27日に改正取引規制府令を公布いたしました 5。
他方、上記②の点については、金融庁と証券取引等監視委員会が、2023年12月および2024年4月に「インサイダー取引規制に関するQ&A」6 の改訂を行い、一定の条件の下、重要事実が存在していても売買等を行える旨の解釈論を公表しました7 。
上記②につきましては別稿の機会に譲ることとし、本メルマガでは、上記①に関する取引規制府令の改正内容につき、ポイントを絞って解説いたします。

2.株式報酬に係る新たな軽微基準
2-1 概説
株式の発行等の軽微基準は、現行法上、「払込金額の総額が1億円未満であると見込まれること」とされています(取引規制府令49条1項1号イ)。この軽微基準は、株式報酬の付与の場面における株式の発行等においても同様に妥当します。
改正取引規制府令では、原則として払込金額1億円という基準を維持しつつ、株式報酬の場面に限って、①希薄化率が1%未満であると見込まれること、②株式の価額の総額が1億円未満であると見込まれること、のいずれかに該当すればよいという基準に変更されました(改正取引規制府令49条1項1号ハ)。
2-2 適用場面
株式報酬に係る軽微基準が適用されるのは、上場会社8 が、当該上場会社・その子会社または関連会社に対する役務の提供の対価として個人に対して株式等(株式又は新株予約権)を割り当てる場合です(改正取引規制府令49条1項1号ハ柱書)。
ここで、「子会社」とは、会社法2条3号に規定する子会社をいい、「関連会社」とは、会社計算規則2条3項21号に規定する会社をいうものとされています(取引規制府令30条1項6号の2、同条3項1号)9 。
また、「役務の提供の対価」とありますが、従業員向けに株式報酬を付与する場合、労働基準法との関係では「福利厚生施設」と整理するのが一般的であるところ10 、このような場合にも役務の提供の対価に該当するかが問題となりますが、従業員から役務の提供を受けていればそれでよいとされています 11。
さらに、条文上は、対象が「個人」とされていることから、いわゆる株式交付信託の場合に適用されるかが問題となりますが、株式交付信託では、株式の発行等に際して、形式的には発行会社から受託者に株式が割り当てられるものの 12、当該個人の役務の提供の対価として個人に割り当てられるのと実質的に同一であるため、この場合も適用があるものとされています13 。
なお、委任、業務委託その他の契約により上場会社に役務提供をする場合も「個人」に含まれるものとされています14 。
2-3 希薄化率1%未満
株式報酬に係る新たな軽微基準の一つは、希薄化率が1%未満であると見込まれることです(改正取引規制府令49条1項1号ハ(1))。なお、条文上は新株予約権も含めて規定されていますが、以下では、単純化のため株式に限定して記述します。
希薄化率は、「割当日に付与する株式の総数÷基準日における発行済株式総数(自己株式を除きます。)」で計算します。「基準日」は、割当日の属する事業年度の直前の事業年度の末日、株式併合・株式分割・株式無償割当ての効力発生日のうち、いずれか最も遅い日です。なお、「基準日」は条文上の表現ではなく、パブリックコメント上の表現です。
たとえば、3月末決算会社が2024年10月30日に株式報酬を付与する場合、割当日の属する事業年度は2024年度であり、その直前の事業年度は2023年度となります。したがって、基準日は、2023年度末日である2024年3月31日となります。ただし、株式併合・株式分割・株式無償割当ての効力発生日が2024年4月1日以降、たとえば2024年7月1日であれば、基準日は2024年7月1日となります。
複数の株式報酬制度が存在する場合や、複数年分の株式を一度に発行する場合等において、希薄化率の計算上、それらを合算すべきかどうかについては、個別具体的な事案に即して実質的に判断され、「同一の募集の決定」であれば合算される一方、「別個の募集の決定」であれば、合算しなくてよいとされています 15。
なお、基準日後に自己株式の取得を行っても、希薄化率の計算にあたっては考慮されないものとされている点には留意が必要です16 。
2-4 株式の価額(時価)1億円未満
株式報酬に係る新たな軽微基準のもう一つは、株式の価額の総額が1億円未満であると見込まれることです(改正取引規制府令49条1項1号ハ(2))。
こちらの基準は、現行法の1億円未満基準を引き継ぎつつ、令和元年会社法改正により解禁された、いわゆる無償発行(無償交付)に対応するものと思われます。
冒頭で述べたように、無償発行(無償交付)では、取締役・執行役の払込みを要しない以上、払込金額はゼロであり、常に軽微基準に該当することとなりかねませんでした。
そこで、株式の価額の総額が1億円未満であると見込まれることという基準にすることによって、無償発行(無償交付)の場合でも、軽微基準が機能するように手当てしたものと考えられます。
なお、「株式の価額」とは、終値ベースでの株式の時価の総額を指し17 、株式の発行等を決定する際に見込んでいた株価では1億円未満であると見込まれていたものの、割当日までの間に株価が上昇して1億円以上となった場合には、その時点から重要事実として認識することになるものとされています 18。
また、株式の発行等が複数回に分けて行われた場合に1億円の算定上合算すべきかどうかは、希薄化率の計算のときと同様、実質的に判断され、同一の募集の決定なのか、別個の募集の決定なのかにより判断されることになるものとされています 19。
2-5 施行日
改正取引規制府令は、2024年9月27日に公布され、2025年4月1日から施行・適用されます。
なお、施行日前に、(施行日後に割当日を迎える)1億円以上の株式報酬の付与を決定していた場合で、改正取引規制府令によれば軽微基準に該当するときは、施行日前は重要事実に該当する一方で、施行日からは軽微基準に該当し、重要事実ではなくなるという扱いになるものとされています 20。
3.おわりに
株式報酬を取り巻く状況は目まぐるしく変化しております。私どもHRガバナンス・リーダーズは、最新の動向をふまえつつ、皆様にとって最適な提案をするよう常に心がけておりますので、遠慮なくご連絡・ご相談いただければ幸いに存じます。皆様と、株式報酬をはじめとしたコーポレートガバナンスに関する議論ができる日を楽しみにしております。
参考文献
- 1 日本経済団体連合会「2023 年度規制改革要望―日本経済にダイナミズムを取り戻す―」(2023年9月12日)8頁
- 2 上島正道=船越涼介「株式交付および株式報酬とインサイダー取引規制」旬刊商事法務2252号(2021)29頁。
- 3 HRガバナンス・リーダーズ株式会社「企業の中長期的な企業価値向上に資する役員報酬の課題に関する調査報告書」(2021)31頁
- 4 金融庁「『有価証券の取引等の規制に関する内閣府令の一部を改正する内閣府令(案)』の公表について」(2024年6月12日)
- 5 金融庁「『有価証券の取引等の規制に関する内閣府令の一部を改正する内閣府令(案)』に対するパブリックコメントの結果等について」(2024年9月27日)
- 6 金融庁=証券取引等監視委員会「インサイダー取引規制に関するQ&A」(2008年11月18日、最終改訂2024年4月19日)。
- 7 金融庁=証券取引等監視委サイダー取引規制に関するQ&A』の追加について」(2023年12月8日)(https://www.fsa.go.jp/news/r5/shouken/20231208/20231208.html)、同「『インサイダー取引規制に関するQ&A【応用編】』の追加について」(2024年4月19日)
- 8 条文上は「上場会社等」ですが、分かりやすさを優先するため上場会社と表記しています。なお、「上場会社等」とは、上場会社、店頭売買有価証券の発行者、取扱有価証券の発行者をいいますが(取引規制府令1条2項20号、金商法163条1項、令27条の2)、現時点では、店頭売買有価証券や取引有価証券に該当するものはありません。
- 9 金融庁「コメントの概要及びコメントに対する金融庁の考え方」(2024年9月27日。以下「金融庁パブコメ」といいます。)NO.9。
- 10 経済産業省「『攻めの経営』を促す役員報酬~企業の持続的成長のためのインセンティブプラン導入の手引~(2023年3月時点版)」Q80参照。
- 11 金融庁パブコメNo.7。
- 12 株式交付信託は、株式市場から委託者(導入企業)の株式を買い付けることもできます。
- 13 金融庁パブコメNo.6。
- 14 金融庁パブコメNo.8。
- 15 金融庁パブコメNo.12~No.16。なお、「目的や内容次第では、別個の募集の決定ではなく単に当初の募集の決定内容の変更(付与数、付与対象者、付与時期等の変更)の決定(すなわち新たな(同一の)募集の決定)にすぎないと評価される場合があると考えられます」とされている点にも注意が必要です。
- 16 金融庁パブコメNo.23。
- 17 金融庁パブコメNo.36。
- 18 金融庁パブコメNo.27~No.32。
- 19 金融庁パブコメNo.26。
- 20 金融庁パブコメNo.2。
Opinion Leaderオピニオン・リーダー
HRガバナンス・リーダーズ株式会社
マネージャー 弁護士
アロン・J・トーマス Aaron J. Thomas
主な著書等:
・「取締役の報酬規制に関する一考察」(法律実務研究34号、2019)
・「IFRS適用会社における株式交付信託の会計処理について」(旬刊商事法務2198号、2019、共著)
・『新・取締役会ガイドライン〔第2版〕』(商事法務、2016、共著)
・『法律家のための税法[会社法編]〔新訂第7版〕』(第一法規、2017、共著)
・『法律家のための税法[民法編]〔新訂第8版〕』(第一法規、2022、共著)
