人的資本経営の取組み・開示のReboot①
機関投資家から見た課題感を踏まえた取組み・開示へ
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コーポレート
ガバナンス Corporate
Governance - 指名・人財 Nomination/HR
- 報酬 Compensation
- サステナビリティ Sustainability
HRガバナンス・リーダーズ株式会社
シニアコンサルタント
山口 元基
HRガバナンス・リーダーズ株式会社
コンサルタント
山本 琢郎
■ サマリー
人的資本の重要性がより強く言われるようになった昨今、有価証券報告書での人的資本開示の義務化や人材版伊藤レポートでの提唱が後押しとなり、ある種の人的資本のブームが起きている。その中で、各企業は人財戦略の検討を迫られている。
しかし、法定開示すべき内容のほか、何を開示すればいいのか、経営戦略と連動した人財戦略とは何なのか等、企業は悩みを抱え、人的資本経営の進むべき方向性に迷いが生じているという声も多く聞かれる。
そこで、HRGLは人的資本経営に対する取組みの方向性について検討する上で重要な示唆を得るために、国内の機関投資家にインタビューを行い、人的資本に対する関心や課題感を確認した。機関投資家が抱える課題感は大きく5つある。
1. ロジックやストーリーなく、そのまま羅列・開示してしまうケースが多い
2. As is-To beギャップが示されていない
3. 指標・KPIがわかりにくい、どのように経営戦略に連動するか見えない
4. 人的資本投資の実績と効果が見えない
5. 人財戦略の見直しや振返りがない
機関投資家の課題感を踏まえると、①企業価値向上につながるロジック・ストーリーの作成、②目標となる指標・KPIの設定および社内外への周知、③目標と現実のギャップ特定・ギャップを埋める施策の実行、④人的資本投資の見直し・ストーリーの再構築の4点が、人的資本経営の取組み・開示の総点検ポイントとなる。
これらの総点検ポイントを、社内のみならず、社外のステークホルダーの声を参考にしながら自社の人的資本経営の取組み・開示を高度化させていくことが求められる。
目次
1.人的資本経営の現状
1-1 人的資本ブームの到来
2015年のコーポレートガバナンス・コードの公表、そして人材版伊藤レポートの発行などを通じ、収益性・生産性の重要性がより強く求められると同時に、ヒトの側面においても、働き方改革や女性・高齢者といったダイバーシティ、働く担い手の確保の問題、イノベーションを引き起こすための人財創出など、人的資本の重要性がより強調されるようになった。企業の持続的成長、企業価値向上の要請が高まる中で、人的資本に関する言及・必要性も年々高まり、また2023年に有価証券報告書における人的資本開示が義務化されたことにより、人的資本のブームの火付け役となっていたといえる。
人材版伊藤レポート2.0では、企業価値を高めるために、ビジネスモデル・経営戦略と人財戦略の連動を前提にしてほしいことを強く言及している。そして、理想の状態(To-be)と、現状(As-Is)のギャップを可能な限り定量的に把握することや、目指すべき企業文化の醸成・定着へとつなげていくことが必要であり、また、人財戦略で意識すべき5つの共通要素も提唱され、各企業がそれらを踏まえ人財戦略を検討するよう迫られている。
1-2 人的資本経営についての悩み
直近では、各企業において義務化された開示に対応していくなどの実務面の動きがみられるが、それらは形式やルールへの対応となっていることが多く、企業価値向上につなげていくまでの対応まで届いている企業は決して多くない。
各企業との対話を繰り返す中で、「開示義務に対応し、とりあえず整理してみたが本当にこれでよいのか分からない」、「経営戦略と人財戦略が連動する姿が自社に当てはめた場合に分からない」等、多くの悩みが寄せられている。人的資本への注目の高まりを踏まえ、各企業が人的資本経営に尽力している一方、「重視するステークホルダーを何に設定し」「何を」「どこまで」開示すべきかについて悩んでいるのが実態と言える。
2.機関投資家から見た人的資本の取組み・開示への課題感
人的資本経営の進むべき方向性に悩みを抱える企業が多い中で、「投資家」の見方を詳細に把握すべく、HRGLは国内の機関投資家にインタビューを実施した。現時点での人的資本に関する関心度の強弱の変化、実際に企業を分析、対話する際の観点を確認し、企業の人的資本経営の取組み・開示に対する課題感について伺った。
対話の結果、大半の機関投資家が、引き続き人的資本に高い関心を持っていることが分かった。人的資本に関する情報の多くが、過去は公開されていなかったが、昨今開示が進んでいるという事実について、多くの機関投資家が非常にポジティブにとらえている。一方で、企業の人的資本経営の取組みや開示に機関投資家が満足していたわけではなく、課題感も感じていることが分かった。下記2-1から2-5までの5つのポイントが課題として指摘されることが多い。図表1では、5つポイントにおいて(A)機関投資家から見た課題感と、(B)人事実務担当者の実情を比較している。この5つのポイントについて簡単に解説したい。
図表1
機関投資家から見た課題感(A)と人事実務担当者の実情(B)の比較

2-1 開示内容が実績・施策の羅列のみ
(A)「企業が人的資本経営の様々な取組みを、ロジックやストーリーなく、そのまま羅列・開示してしまうケースが多い」という声が機関投資家から寄せられた。勉強会や研修○○回実施、有休消化率○○%といった細かなデータを出したところで、人財育成の方向性や目指したい組織の在り方、中期経営計画との繋がりは伝わらない。結果、投資判断に活用しづらいデータになっている。人財創出や戦略実現の方向性等を明確に伝えることで、はじめて機関投資家は人事データの推移に関心を持つことになる。
(B)一方、人事実務担当者は、そもそも目の前の業務に追われており、多くの場合、情報の開示以外の業務も担っている。そして、担当する人事施策を日頃実施しないといけない立場であるがゆえに、人事部門の戦略や施策全体をもって優先順位をつけることが難しいのが現実である。そして人事実務は通常、採用や労務など機能ごとに業務を行っており、俯瞰的な目線をもって、経営戦略と連動した人事戦略を策定できる人財が、そもそも多くないこともありうる。
2-2 As is-To beギャップがない
(A)また、細かなデータの議論に至る前に、「そもそもTo be(理想)とAs is(現実)のギャップの議論に到達できていない」という声も散見された。機関投資家はTo beが適切か、As isとTo beのギャップをどのように埋めようとしているのか、そのための施策は順調か、といった順にデータを捉え、そしてそれを企業と対話したいと考えている。しかし、To beまたはAs isが開示されておらず、そもそもギャップを把握できないと感じている。As isとTo be、そしてギャップを恐れずに開示し、外部と対話し、対話を通じて適宜改善してほしいというのが機関投資家の要望である。
(B)他方、人事実務担当者と機関投資家には、そもそも視点や時間軸にギャップがある。経営戦略が5~10年に及ぶ中長期の姿を描く一方で、人事実務では眼前の対応事項を意識しすぎるあまり短期目線であることが多い。人財要件などを検討する上でも、将来像を考え、そこから逆算していく考え方ではなく、現状の延長線上で検討するアプローチをとる傾向にあり、To beに視点が向かないことが多い。
2-3 指標・KPIがわかりにくい
(A)開示された目標・指標が「抽象的である」、または「どのように経営戦略・事業戦略に繋がるのかわからない」という指摘も多かった。指標がわかりにくい、過度にマニアックなものとなっても理解が難しいという声もあった。
(B)人事実務では、いざ開示しようとした際に、必要なデータ自体が揃っていなかったり、過去からデータが蓄積されていなかったり、指標・KPIが上手く設定できないという事情がある。さらに、仮に開示した数値が他社対比で劣後していた場合、自社にネガティブな印象を持たれることを懸念し、開示を控えることもある。
2-4 人的資本投資の実績・効果が見えない
(A)人的資本への投資について、「投資金額や財務指標との繋がりを定量的に示してほしい」といった機関投資家のニーズは大きい。定性的に発信するだけではなかなか実績や効果が伝わりにくく、やはり財務指標と紐づいた人的資本投資とその効果を定量的に示そうと努力することは、機関投資家にとって好感を持たれやすいといえる。
(B)人的資本投資の集計には、人件費や教育関連投資額など、人事や労務の各機能で把握している計数を集める必要があり、機能を超えて連携する負担が発生する。また効果の測定に際しては、簡単に効果を定義できないもの(人財育成など)もあり、算出方法の検討、定義のハードルが高く、結果として開示が難しいものとなっている。
2-5 人財戦略・施策の振返りがない
(A)機関投資家は企業が過去に説明・開示した人財戦略・施策の振返りを求めている。開示を通じて様々な取組みをアピールすることは多くの企業で実施している。一方で、その後の変化や波及効果について、振返りの開示を行っている企業は多くない。人事部門がまず振返り、経営トップや取締役会でも振返ることが望ましい。
(B)一方で、人事実務では、施策の効果を定量的に測定する方法が限定されることが多いため、数値とともに良し悪しを評価されることの難しさがある。また、時間をかけて振り返ることができないまま、日々次々と発生する新たな問題に対処する必要があるといった現実も存在する。
3.推奨する対応
3-1 人的資本経営の総点検
前述してきた(A)機関投資家の課題感と(B)人事実務担当者の実情を踏まえて、より高度な人的資本経営の取組み・開示を目指していくために、企業が自社の人的資本経営を総点検することをHRGLでは推奨する。その際には4つの観点で点検すべきであり、図表2のサイクルをもとに紹介する。
図表2
人的資本経営のサイクル

点検の観点は、①企業価値向上につながるロジック・ストーリーの作成ができているか、②目標となる指標・KPIの設定および対内外周知ができているか、③目標と現実のギャップを特定し・ギャップを埋める施策の実行ができているか、④人的資本経営のストーリーの見直し・再構築といったモニタリングサイクルができているか、という4つが挙げられる。それぞれの点検ポイントにおいて、前述した機関投資家の課題感を踏まえ、及第点と考えられる水準を紹介していく。詳細は、HRGLセミナー(アーカイブ配信について後段に記載)にて配信しているため、是非ともご確認いただきたい。
まず①については、人財戦略や施策と経営戦略の対応関係をロジックツリー等で示すことを目指したい。人財戦略のストーリーが整理されておらず抽象的な開示となっている状況を脱し、自社の経営戦略において必要な人財を特定し、その人財の必要性について開示されることが好ましい。さらに踏み込んで、それぞれの人財戦略や施策が、自社のどの組織や事業戦略に影響を及ぼすかについて示され、各部門・領域で必要となる人財の質と量が明確に定義されていると非常に高度な開示水準と言える。
次に②目標となる指標・KPIの設定や対内外周知については、まず目標指標・KPIが設定され、可能な限り開示されている状況になっているか点検いただきたい。その上で目標指標・KPIの達成が経営戦略にどのように寄与しているかについて説明でき、外部にも開示できる水準となることが求められる。さらに、売上高や利益等の財務指標と関連させた定量的なKPI設定ができていれば、先進的であると評価される。
上記の①、②を実施した上で、③目標と現実のギャップを特定し、そのギャップを埋めるための施策を実行することが求められる。ギャップを埋める方向性について、まずは定性的な表現を活用しながら開示し、ゆくゆくは可能な限り定量的にギャップを特定し説明できることが現実的な対応だと思われる。
そして最後に忘れないでいただきたいのが、④人的資本への再投資、ロジックやストーリー、目標指標・KPIの見直しと再構築を行うプロセスの点検である。経営戦略の結果を踏まえ、人的資本への投資方針や投資金額が適切であったか振り返ること、それらを踏まえロジックやストーリー、目標指標やKPIを再設定していくというモニタリングサイクルが回っているかを確認することが機関投資家からも求められていた。さらに、人的資本投資の金額、その投資が企業価値に与えた影響を可能な限り定量的に説明すること、そして経営会議や取締役会においても議論される状況こそが理想的なものと言える。
これら4つのポイントを踏まえ、自社の取組みや開示の状況をぜひ総点検いただきたい。
3-2 開示に耐え得る本質的取組み
人的資本経営の開示は、表面的な対応のみならず、本質的な取組みがしっかりとなされていることがステークホルダーから求められるようになってきた。とはいえ、目の前の人事・労務の実務に忙殺されてしまい、本質的な取組みへ舵を切ることが難しいと感じる方も多いだろう。
人的資本経営に関する本質的な取組みを実行するために鍵となるのは、やはりCHROであるとHRGLは考える。そもそもCHROはCEOとともに強靭な経営チームをつくることが求められており、その強靭な経営チームを担うべきエグゼクティブ層の人財への人的資本投資を考えなければならない。こうしたエグゼクティブ層の人財と、いわゆる従業員の双方の人的資本投資について、投資家等の資本市場の声を確認し、社内で骨太の議論を行い、自社の人的資本経営の取組み・開示の総点検・再始動の責任を持たなければならないだろう。そして、そうした動きにCHROが注力するには、人事・労務の実務は人事部長に大胆に任せていくことや、CHRO直下に人事部とは別の中長期人財戦略を検討する組織体(CHROオフィス等)を組織設計するといったアイデアを実現する必要がある。現に、人事・労務の実務を任せ、自らは人的資本レポート等とともに外部のステークホルダーと対話を精力的に行い、人的資本経営の本質的な舵取りに注力しているCHROも存在している。
CHROが人的資本経営の本質に責任を持ち、その為の権限委譲や組織設計を行った上で、他の経営陣にも人的資本投資の重要性を訴えかけていく。そのような会社において人的資本経営が推進されていくものと考える。
4.最後に
人的資本経営をどのように進めていくか、何をすればいいのかという観点は、人事実務に従事する方からすると非常に悩ましい。本件を執筆するコンサルタントは事業会社の実務担当の経験を持つが、まさしく同じ思いを抱えながら業務に従事していた。
社内のメンバーによる議論だけではナレッジや視点が不足している場合、それを補うために、外部の機関投資家や認証機関等の考えを知ることは重要と考える。筆者らも前職の事業会社で人的資本経営の取組み・開示に携わる中で日々葛藤があったが、当時外部の視点を知ることができていたらどれほど助けになっただろうと想像する。本稿に記した機関投資家の課題感や総点検ポイントが、読者の皆さまの企業の人的資本経営の取組み・開示の高度化に役立てば幸いである。
本稿では人的資本経営の現状、機関投資家の課題感を中心に解説してきたが、2025年3月25日にHRGLで開催した「人的資本経営の取組み・開示のRebootセミナー」において、より詳細な内容を解説している。アーカイブ配信中でもあるため、ぜひご視聴いただきたい。また、お悩みの相談等があればお気軽にHRGLまでお問い合わせいただければと思う。
さらに、後日、「人的資本経営の取組み・開示のRebootセミナー第二弾」として、ISO30414の第三者保証を行うBSIグループジャパン様にご登壇いただく予定である。資本市場が求めるポイントを踏まえながら、開示基準の最新動向や保証を取得する意義について触れていくので、開示を高度化、深化させるための参考として、このセミナーもぜひご視聴いただきたい。
【セミナー第一弾 アーカイブ視聴】 【アーカイブ配信中】人的資本経営の取組み・開示のReboot-取組み・開示の総点検と再始動- ※視聴期限 2025年5月31日まで 【セミナー第二弾 視聴予約】 人的資本経営の取組み・開示のReboot 第2弾-投資家の要請と開示基準から考える「取組み」と「開示」の両輪の回し方- |
Opinion Leaderオピニオン・リーダー
HRガバナンス・リーダーズ株式会社
シニアコンサルタント
山口 元基 Genki Yamaguchi

HRガバナンス・リーダーズ株式会社
コンサルタント
山本 琢郎 Takuro Yamamoto
