HRガバナンス・リーダーズ株式会社

 

人的資本経営における執行・監督体制と企業価値向上ストーリーの構築

人的資本経営を推進する上での重要なポイント

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HRガバナンス・リーダーズ株式会社
コンサルタント

小沢 潤子

■ サマリー

各企業の人的資本経営の取組みの可視化が進む中で、企業により開示の差が出つつある。1つは人的資本経営の取組みのレベルによる差、もう1つは人的資本経営の取組みと経営戦略や企業価値、パーパスとの繋がりを説明するストーリー構築による差の2点が大きな要因と考えられる。

この2つの差に共通の最重要論点として、人的資本経営の執行と監督のあり方が挙げられるが、弊社サーベイ結果によると、①取締役会が人財戦略を議論・策定している、②執行側の取組み体制として部門横断の推進体制を整備している、③CHROを設置しているのいずれか1つ以上に該当する企業は約半数であり、そのうち、複数該当する企業に絞ると2割弱と少数である。

こうした人的資本経営の執行と監督の状況別に、人的資本経営の取組みや開示の状況をみると、より望ましい人的資本経営の執行と監督の状況にある企業群ほど、取組みおよび開示のいずれにも良い結果がみられた。

経営戦略や企業価値、パーパスとの繋がりを説明するストーリー構築については、今後、ストーリーを構築・開示する企業の増加が予想されるが、次なるステップとして、構築したストーリーを起点に各ステークホルダーへ積極的に発信・対話を行い、その対話の結果を通じて、また人的資本経営の取組みの見直しを行う必要があると考える。

目次

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1.はじめに

 有価証券報告書に人的資本の開示が義務化されてまもなく2回目の開示を迎えようとしています。3月から4月にかけて、12月決算企業の初めての人的資本の開示がありましたが、約9か月前に開示があった3月決算企業に比べ、開示内容は充実している印象を受けました。このように各企業の人的資本経営の取組みが可視化されていく中、その開示内容については、企業による差が出始めています。
 この差の中身をみていきますと、人的資本経営の取組みの有無による差、人的資本経営の取組みと経営戦略や企業価値、パーパスとの繋がりを説明するストーリー構築による差の2点が大きな要因になるのではないかと感じます。まず、開示するためには、定量化などの問題も含めた各種取組みが必要です。そして、人的資本経営の取組みがあったとしても、それぞれの取組みがばらばらと開示されていては、本来の目的である企業価値向上に人的資本がどのように繋がっていくのかは見えず、効果的に人的資本への資本投下が行われているか外部のステークホルダーは判断できません。これらに鑑みると、人的資本経営の企業価値向上ストーリーの構築は不可欠な要素になります。
 では、この2点を進めるためには何が必要でしょうか。人的資本経営を提唱した人材版伊藤レポート1を改めて読み解きますと、人的資本経営における経営陣・取締役会・投資家の役割・アクションが示されています(図表1)。企業側で取り組むものとして、経営陣・取締役会をみていきますと、経営陣については、企業理念やパーパス、経営戦略を明確化した上で、経営戦略と連動した人材戦略を策定・実行すること、取締役会においては、人材に関する議論を行い、自社の人材戦略の方向性が経営戦略の方向性と連動しているかについて監督・モニタリングを行い、適切な方向に導くこと、などが求められています。
 本稿では、人的資本経営の取組みの状況を確認しつつ、経営陣による執行と取締役会による監督の状況、そして、取組みとの関係を踏まえ、人的資本における執行と監督の重要性について改めて言及いたします。加えて、人的資本経営やその開示で不可欠である企業価値向上ストーリーの構築について、構築後の次なる取組みと併せて論じたいと思います。

図表1

人材版伊藤レポートに提示された経営陣、取締役会、投資家の役割・アクション
出典:経済産業省「人材版伊藤レポート2.0」(2022年5月)よりHRGL作成

2.人的資本経営における執行と監督の重要性

 ここでは、弊社実施のサーベイ結果を基に、人的資本経営の取組み、執行と監督の状況を確認しながら、取組みと執行・監督との関係分析を紹介します2

2-1 人的資本経営の取組みの状況

 はじめに、人的資本経営の取組み状況についてみていきます。人材版伊藤レポートの3つの視点(以下、「3P」という)と5つの共通要素(以下、「5F」という)の「3P・5Fモデル」に沿って、各企業の取組みの2022年からの変化をみますと、すべての項目において進捗が確認できます(図表2)。特に5Fの「従業員エンゲージメント」では、「実施のうえ開示済」の企業が20%から39%と大きく増加しました。他方で、定量把握に関する取組みについては進捗が遅れている様子がうかがえます。3Pにおいては「経営戦略と人材戦略の連動」では「反映できている」または「反映に向けて取り組み中」と回答した企業が86%である一方で、「As is-To be ギャップの定量把握」は63%に留まります。併せて、5Fの「動的な人材ポートフォリオ」も50%と他の項目の中で最も低い結果でした。

図表2

3P・5Fモデルの取組み状況(2022‐23年比較)
出典:「指名・報酬ガバナンスサーベイ」(2023年8月末集計)よりHRGL作成。
注:2022は2022年指名・報酬ガバナンスサーベイ、2023は2023年指名・報酬ガバナンスサーベイの結果。2年連続で本サーベイに継続参加した企業208社を対象に集計。自社の進捗状況として、「反映できている」「反映に向けて取り組み中」「取組み無し」または「実施のうえ開示済」「開示に向けて取り組み中」「取組み無し」から回答。

2-2 人的資本経営の執行・監督の体制整備の状況

 次に、人的資本経営の執行と監督について3点に着目して各企業の状況をみていきます。
 1つ目が監督の状況として、取締役会における人的資本経営への関わり方です。人材版伊藤レポートでは、人材に関する議論を行い、自社の人材戦略の方向性が経営戦略の方向性と連動しているかについて監督・モニタリングを行い、適切な方向に導くこと、とありますが、人的資本も含む自社の資本投下の監督を行うのは取締役会であるため、取締役会が人財戦略の大方針を策定することがより望ましいと感じます。本サーベイでは、有価証券報告書でのガバナンスの記載状況について尋ねていますが、「取締役会による人的資本関連事項の進捗のモニタリング」をしている企業は28%、「取締役会が人財戦略を議論・策定している」企業は20%でした。そもそも取締役会による人的資本関連事項のモニタリングを行っている企業も、その先の人財戦略の基本方針の議論・策定を行う取締役会も多くないことがわかりました。
 2つ目が執行側を中心とする取組み体制です。人材版伊藤レポートでは、経営戦略と連動した人材戦略の策定・実行、従業員・投資家への積極的な発信・対話などの重要性を言及していますが、これは従来の人事部の所掌を越える取組みと感じます。人的資本可視化指針3では、具体的に可視化に向けた準備の例として、戦略部門、IR部門、財務・経理部門、サステナビリティ関連部門との体制構築や連携を挙げています。本サーベイでは、人的資本経営の取組み体制について聞いていますが、「人事部門が主体となり、適宜他部門と他グループ会社と連携している」と回答した企業が60%と最も多く、「部門横断での推進体制を整えている」と回答した企業は37%に留まりました(図表3)。
 3つ目がCHROの設置の有無です。同設問において、「CHROならびにその機能を設置し、推進している」と回答した企業は13%でした。人材版伊藤レポートでも、CHROの設置・選任、経営トップ5C(CEO,CSO,CHRO,CFO,CDO)の密接な連携を挙げられていますが、執行と監督の両面をサポートする者として、取締役兼務のCHROがCEOと共に取組みの推進を行い、さらには、投資家をはじめとする各ステークホルダーへ自社の人的資本経営に関する対話を行うことが望ましいと考えています。

図表3

人的資本経営の取組み体制(複数回答)
出典:「指名・報酬ガバナンスサーベイ」(2023年8月末集計)よりHRGL作成。
注:2023年指名・報酬ガバナンスサーベイに参加した企業241社を対象に集計。

 3点についてそれぞれの状況をみてきましたが、最後にその3点の関係についてもみましょう。①②③のいずれも該当しない企業(企業群A)は全体の49%と約半数に及びます(図表4)。①②③のいずれか1つのみに該当している企業(企業群B)は34%、①②③のうち複数に該当している企業(企業群C)に限定しますと17%となりました。執行と監督の両輪での人的資本経営の推進を図るには、①②③の1つのみの該当では心細く、複数該当が望ましいと感じますが、そのような企業はまだ2割弱と少数です。なお、企業群A、B、Cと時価総額との間に明確な比例関係はみられず、企業規模に大きく依存するものではないと考えられます(図表5)。機関設計の状況をみると企業群Bに比べCでは監査役会設置会社の割合は減少しており、いわゆるモニタリング・モデルを採用する企業では、経営陣の関与に加え、取締役会によるガバナンスへの意識が高いことが推察されます。

図表4

人的資本経営の執行・監督の状況
出典:「指名・報酬ガバナンスサーベイ」(2023年8月末集計)よりHRGL作成。
注:2023年指名・報酬ガバナンスサーベイに参加した企業241社を対象に集計。

図表5

人的資本経営の執行・監督の状況別にみた企業属性の状況
出典:「指名・報酬ガバナンスサーベイ」(2023年8月末集計)よりHRGL作成。
注1:A、B、Cは企業群A、企業群B、企業群Cのことを示し、「人的資本経営の執行と監督」の状況別に企業をグルーピングしている。企業群AからCに向かって、望ましい「人的資本経営の執行と監督」に近づいていると考えられる。定義の詳細や各企業群に該当する企業数は、図表6のとおり。
注2:時価総額、機関設計は2023年5月末時点。

2-3 人的資本の執行・監督と取組み・開示の関係

 最後に、この企業群A、B、C別に3P・5Fモデルや開示の状況をみていきます。
 はじめに、3P・5Fモデルとの関係ですが、企業群A、B、Cの順に、すべての項目の取組み状況は良くなっていることがわかりました(図表6)。特に、企業群BとCの比較でみると、「As is-To be ギャップの定量把握」の「反映できている」や「動的な人材ポートフォリオ」の「実施のうえ開示済」の企業割合はそれぞれ20pt、23ptの差があり、さらに「知・経験のダイバーシティ&インクルージョン」では38ptの差がありました。執行と監督の両輪で人的資本経営を推進する企業では、定量把握やダイバーシティ&インクルージョンの中でも深層的な知・経験にフォーカスした取組みの推進がうかがえます。
 3P・5Fモデルは執行と監督の観点も含まれており、一部項目は執行と監督の状況と関係するのは当然であるため、人的資本項目の開示状況を人的資本可視化指針の19項目別に確認しました。その結果、すべての項目で企業群Cが最も「開示済」の割合が高く、企業群AとCの差に着目すると、約20%から40%の差があります(図表7)。その差は価値向上とリスクマネジメントのいずれでも確認でき、執行と監督の両輪で人的資本経営を推進する企業では、人的資本でも攻めと守りのバランスを重視していることがわかりました。

図表6

人的資本経営の執行・監督の状況別にみた3P・5Fモデルの状況
出典:「指名・報酬ガバナンスサーベイ」(2023年8月末集計)よりHRGL作成。
注:A、B、Cについては、図表5の(注1)参照。

図表7

人的資本経営の執行・監督の状況別にみた人的資本項目の開示状況
出典:「指名・報酬ガバナンスサーベイ」(2023年8月末集計)よりHRGL作成。
注:A、B、Cについては、図表5の(注1)参照。各項目において「開示済」と回答した企業の割合。

3.人的資本経営のストーリー構築と次なる取組み

 前章では人的資本経営の取組みと執行・監督との関係性について述べてきましたが、人的資本経営の取組みと経営戦略や企業価値、パーパスとの繋がりを説明するストーリー構築についても、執行と監督は重要と考えられます。IBMコンサルティングの調査では、人的資本指標を企業価値向上のストーリーとして展開することに困難を感じている者120名に、その理由を回答してもらったところ、「人的資本の情報開示に関連する部門間の連携が悪いため」に当てはまる、やや当てはまると回答した割合は67%に及びました 。経営戦略や企業価値、パーパスの議論は経営陣や取締役会なしには語れないものであり、ストーリー構築でも両者による関与が重要となるのは明らかな結果と感じます。
 こうしたストーリー構築の実態については、弊社主催セミナー の事後アンケートにおいて、ストーリーを既に構築している企業は約25%、構築を検討している企業は57%という結果があります(図表8)。現時点ではストーリーを構築している企業は少数ですが、今後、ストーリーを構築し、開示していく企業は増加していくことが予想されます。また、現在ストーリーを構築している企業では、明文化のほか、図などを用いて人的資本経営の取組みと経営戦略や企業価値、パーパスの繋がりを示しているケースが多く、今後、開示される企業も読み手がその繋がりをわかりやすく捉えられる開示が求められていくことが考えられます。

図表8

人的資本経営のストーリーの構築状況(複数回答)
出典:HRGL主催セミナー「人的資本ガバナンスの推進に向けたCHROのミッション」(2024.2.20実施)事後アンケートよりHRGL作成。
注:アンケート回答企業114社を対象に集計。

 最後に、構築したストーリーをその後どのように活かしていくかという点について言及します。同アンケートでは、投資家と従業員との対話の状況について尋ねていますが、投資家との対話の状況では、既に70%の企業において、「投資家から、人的資本に関する質問を受けたことがある」と回答しています(図表9)。他方で、「サステナビリティ報告書やHC(人的資本)レポートを開示しながら能動的に発信している」と回答した企業は28%です。また、従業員への対話についても、「ストーリー構築は外部への開示目的に留まっている」企業が半数であり、自社の「従業員に人的資本のストーリーを説明している」企業は24%でした。投資家からの人的資本に関する関心は高いものの、企業の人的資本に関する発信・対話は受け身な姿勢がうかがえます。人材版伊藤レポートでは、経営陣の役割・アクションにおいて、投資家や従業員への積極的な発信・対話を挙げており、今後、構築されたストーリーを起点に、投資家や従業員などの各ステークホルダーと対話していくことで、より強靭な人財戦略にしていくことが大きなポイントになるのではないかと感じます。

図表9

人的資本における投資家や従業員との対話の状況(複数回答)
出典:HRGL主催セミナー「人的資本ガバナンスの推進に向けたCHROのミッション」(2024.2.20実施)事後アンケートよりHRGL作成。
注:アンケート回答企業114社を対象に集計。

4.おわりに

 本稿では、人的資本経営における経営陣による執行と取締役会による監督、企業価値向上へのストーリー構築、の2つの人的資本経営を推進にするに当たって重要となるポイントをお伝えしてきました。
 人的資本経営における執行と監督については、体制整備が進んでいる企業ほど、取組みや開示の状況は良いことがわかりましたが、そのような望ましい執行と監督の体制整備が進んでいる企業はまだ少なく、多くの企業で改善の余地があると考えられます。
 また、経営戦略や企業価値、パーパスとの繋がりを説明するストーリー構築については、今後、ストーリーを構築・開示する企業の増加が予想されますが、次なるステップとして、構築したストーリーを起点に各ステークホルダーへ積極的に発信・対話を行い、その対話の結果を通じて、また人的資本経営の取組みの見直しを行うというサイクルが、より良い人的資本経営への進化に寄与するのではないかと感じます。
 この4月に、ISSBが次のテーマ別開示基準策定として、人的資本のリサーチプロジェクトを開始すると発表がありました。今後はより人的資本項目の開示基準が明確になり比較可能性の点で取組みおよび開示が進むことが期待されます。
 まずは、人的資本経営における執行と監督の体制を整備し、このような社会からの要請の動向も踏まえながら、企業価値向上への人的資本経営のストーリーを開示し、各ステークホルダーと建設的な対話を通じて、ステークホルダーからの信頼を得ていただければと感じます。

参考文献

  • 1 経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書-人材版伊藤レポート」(2020年9月)、「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書-人材版伊藤レポート2.0」(2022年5月)
  • 2 本章は、久保・内ヶ﨑・見城・小沢「人的資本経営における執行と監督の現状と展望-2 2 2023年HRGLサーベイ結果から-」旬刊商事法務No.2358(5月5日・15日号)の分析結果について、共著者の承諾を得たうえでまとめたものである。分析結果からの解釈や意見については著者独自の見解であり、旬刊商事法務での掲載内容と一部異なる場合がある。
  • 3 内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年8月)
  • 4 IBM Institute for Business Value 「人的資本経営推進と戦略的開示に向けて」IBV-Japan Original Report - Human Capital Management (ibm.com)
  • 5 HRGL主催セミナー「人的資本ガバナンスの推進に向けたCHROのミッション」(2024.2.20実施)https://www.hrgl.jp/info/info-9136/

Opinion Leader

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コンサルタント

Junko Ozawa

内閣府にて少子高齢社会対策や経済財政政策に関する政府指針の策定のほか、統計調査や法改正業務等に従事の後、当社入社。現在は、主に人的資本、指名・人財領域のリサーチを担当。東京工業大学大学院修了(社会工学専攻)