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中期経営計画からの脱却と新しい開示の形

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HRガバナンス・リーダーズ株式会社
シニアマネージャー

神山 直樹

■ サマリー

日本企業の多くは、中期経営計画という形で自社の方針、戦略、目標を開示してきた。

一方で、中計を策定することが目的化し、3年ごとの計画達成に注力しすぎた結果、外部環境の急変に対応できず、計画の修正を余儀なくされ現場も疲弊し、中計自体の存在意義が揺らぐ「中計病」という言葉を聞くことも増えてきた。

VUCA(Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity)の世の中といわれて久しくなった今、従来のように、次の3~5年を見据えて経営することの難易度が増していることも事実である。このような動きの中で、従来の中計を廃止する企業も出てきている。

中計を廃止した企業の開示をみていくと、大きく3タイプに分類できることがわかってきた。一つ目の類型は、経営方針+単年ガイダンスを示すというものである。中長期の経営方針や戦略の概要を示したうえ上で、予測可能性の高い、たとえば単年の数字やガイダンスを示すパターンである。二つ目として、長期ロードマップ・ビジョン+レンジでの目標設定を示すという類型である。長期ロードマップやビジョンを定めた上で、それらを実現するための中長期目標を、幅をもって示すパターンである。三つ目として、長期計画+中期計画(3年程度でKPI設定)で示すパターンである。

中計を廃止した企業は、上記のように現在の自社の置かれた状況に合った方法で経営計画を見直し、あらたに策定・開示している。そしてこれを、社内外のステークホルダーとのエンゲージメントにおいて活用している。このような脱・中計の流れが、日本企業の稼ぐ力の強化へとつながることに期待したい。

目次

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1.これまでの中計について

 企業経営について、その企業の今後の方針や戦略、数値目標などを参照する際、まず開示としての中期経営計画(以下、「中計」という)を想起する人も多いであろう。
日本においては、3~5年の期間における経営計画を示したものを中計と呼ぶことが多い。企業は、今後の3~5年を見据え、経営の方針、注力する分野、財務・非財務の目標などを設定しあらかじめ対外的に発表したうえで、これに沿って経営を推進し、1年後に振り返る。そして、場合によっては計画に修正を加えつつ、次年度の経営に進んでいくというサイクルを経るのが一般的である。
しかし近年、「日本の失われた30年の原因のひとつが中計にある」という言説や、「中計病」という言葉を見聞することも増えてきた。

 ゴーイングコンサーンである企業はつねに成長しなくてはならず、そのための道標ともいえるものが元来、この中計だったはずである。しかし、VUCA(Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity)といわれ久しくなった今、従来のように、次の3~5年を見据えて経営を行なっていくことの難易度が増している。このような動きの中で、従来の中計を廃止する企業も出てきている(図表1)。本稿では、これら中計廃止後における企業の戦略・目標の開示がどのように変わってきているかについてみていきたいと思う。

図表1

日本企業における中期経営計画の廃止動向
出典:公表資料を基にHRGL作成

2.中計からの脱却と、その後の開示方法の3分類

 経営環境の不確実性が増す中で中計を廃止した企業は、どのようにして経営計画の開示を行なっているのであろうか。こうした企業の開示をみていくと、大きく3タイプの開示方法に分類できることがわかってきた(図表2)。

図表2

中期経営計画を廃止した日本企業の開示形態
出典:公表資料を基にHRGL作成

 まず一つ目の類型は、経営方針+単年ガイダンスを示すというものである。中長期の経営方針や戦略の概要を示したうえ上で、予測可能性の高い、たとえば単年の数字やガイダンスを示すパターンである。この類型に当てはまる企業としては、伊藤忠商事、信越化学、武田薬品工業がなど挙げられる。また、このような概要を開示する方法は欧米の企業の経営戦略の開示の方法に近い開示のあり方ともいえる。
 次に二つ目として、長期ロードマップ・ビジョン+レンジでの目標設定を示すという類型である。長期ロードマップやビジョンを定めた上で、それらを実現するための中長期目標を、幅をもって示すパターンである。これに当てはまる企業としては、味の素、アステラス製薬、三菱地所などが挙げられる。
 最後に三つ目として、長期計画+中期計画(3年程度でKPI設定)で示すというものである。二つ目の類型とよく似ているが、長期的な経営目標の実現に向け、中期的なマイルストンも設定して開示している点で、より詳細に実現の道筋を示した例といえる。この類型に当てはまる企業としては、アサヒグループホールディングス、中外製薬などが挙げられる。

3.それぞれの分類の事例

中計廃止後の開示パターンについて、それぞれ実際の事例を以下にみていきたい。

3-1 経営方針+単年ガイダンス

 伊藤忠商事は、2024年4月3日に経営方針及び単年度計画を発表と同時に中計廃止を発表し、経営方針+確実に予測できる単年度計画を開示する形式に移行している(図表3)。

図表3

経営方針+単年ガイダンス:伊藤忠商事
出典:伊藤忠商事 「経営方針『The Brand-new Deal ~利は川下にあり~及び2024年度経営計画策定について」を基にHRGL作成

 信越化学は、1990年代より中計を開示していない。決算説明資料も20年3月期3Q決算時より短信内(2024年3月期決算)で触れるのみとなっており、2ページで1Qの業績予想のみを開示している。この理由として「通期については、現時点で合理的な算定が困難であるため」としている。
また、同短信11ページ目で経営方針として、①会社の経営の基本方針、②目標とする経営指標、中長期的な会社の経営戦略、③会社の対処すべき課題を開示している。

 武田薬品工業については、2024年5月に開催された決算説明会資料での開示をみてみる(2024年5月6日決算説明会)。同説明会資料25ページにおいて、「マネジメントガイダンス」として単年の計画を提示するとともに、30ページで30年までの大まかな目標を提示している。
 また、1年遡った2023年5月の決算説明会(2023年5月11日の決算説明会)においても、その17ページにおいて22年度ガイダンスとの比較を実施することや、24ページにおいて23年度の単年ガイダンスを開示するという形態をとっていた。さらに、28ページにおいて、大まかな短期・中期・長期の戦略を提示するという開示であった。

3-2 長期ロードマップ・ビジョン+レンジでの目標設定

 味の素は、2030年までのロードマップ・ビジョン+大まかなレンジでの目標設定という形で開示している(図表4)。2023年2月28日に発表したASV経営 2030ロードマップにおいて、これまでの中計との差異を説明(8ページ)するとともに、9ページで「CAGR約10%~」という幅を持たせた形での開示となっている。15ページからの「2030ロードマップの重点戦略」においてロードマップ概要の説明をしており、そのロードマップは大きく3つの柱から成り立っている(①マネジメント改革、②ポートフォリオマネジメント、③無形資産とROICツリー)。また、30ページから始まる「ASV指標」においては、ROE、ROIC、オーガニック成長率、EBITDAマージンについて、大まかに2025年目標、2030年目標という形で提示をしている(32ページ)。
 36ページからは「財務戦略と経営資源配分」の章となるが、ここでもたとえば38ページにおいて、キャッシュ・アロケーション方針として「FY23-30で設備投資7,500億円程度を見込む」と幅を持たせた形での開示となっている。

図表4

長期ロードマップ+レンジでの目標設定:味の素
出典:味の素「中期ASV経営 2030ロードマップ」(2023年2月28日)ほか同社公表資料を基にHRGL作成

 アステラス製薬は、経営計画2021において、これまで3年中計であったものを今回から5年スパンに変更している。11ページでの説明において、売上予想をCAGR8%と想定して示すのみで、この開示も、味の素と近い方法であるといえる。
 13ページの財務構造の見直しにおいても、2025、2030目標を示すのみであるが、ここも味の素と類似の開示となっている。5ページと19ページにおいては、2025年度に時価総額7兆円を目指すとしており、またそのための9つの戦略という建付けでブレークダウンした戦略を開示している。

 三菱地所は、長期経営計画2030の中で、3ページと5ページにおいて、2030年目標としてROA5%、ROE10%、EPS200円を設定している。利益については「3,500~4,000億円」とレンジで提示し、株主還元についても配当性向30%「程度」としている。また、財務健全性に関しては定性的な記載のみにとどめている。
 48ページではROAなどを選択した理由について背景を丁寧に開示することで、経営の方向性を説明することに努めている姿勢がうかがえる。

3-3 長期計画+中期計画(3年程度でKPI設定)

 アサヒグループホールディングスは、中長期経営方針の更新において、これまでの中期経営方針を更新したことを示している。また2023年12月期決算短信22ページにもこのことについて開示している。
 中長期経営方針の建付けは、以下のようになっている。まずは、「中長期経営方針」として「長期戦略」のコンセプトを据えた上で、「目指す事業ポートフォリオ」、「コア戦略」、「戦略基盤強化」を位置づけている。そこからブレークダウンした「中期的な主要指標のガイドライン」の中に、事業利益・EPS・FCFについて「3年程度を想定したガイドライン」として、それぞれ22年-24年の計画値を示している。また「中期的な財務方針」も同様で、22年以降のガイドラインを示しつつ、24年計画ということで3か年の計画値を示すものとなっている(図表5)。

図表5

長期計画+中期計画:アサヒグループホールディングス
出典:アサヒグループホールディングス ホームページ(2024年10月21日時点)を基にHRGL作成

 中外製薬は中計廃止後の開示として、単年度計画と中期マイルストン確認の実施という形をとっている。中外製薬は、それまでの中計「IBI21」を2020年度において1年前倒しで終了している。その説明会資料(2021年2月)において、2030年に向けた新たな成長戦略「TOP I 2030」を発表した(同51ページ以降)。また65ページにおいて、3年中計の廃止を説明するとともに、同じく65ページにて、本計画については2030目標・中期マイルストン・単年度計画で妥当性を確認していくとしている。
 翌2022年2月3日の決算で実際に、2021年度の振り返りを実施し、その内容について説明している(9ページで単年度計画、12~16ページで中期マイルストンを確認)。

4.おわりに

 ここまで、中計とその廃止後の開示形態について事例を挙げながらみてきた。
 中計病といわれる症状を具体的に表してみると以下のようになるだろうか。中計策定そのものが目的化してしまうことにより、長期的なありたい姿やそこからのバックキャストの視点を見失い、3年ごとの計画達成により傾斜することになった。さらに緻密な計画を策定した結果、外部環境の急変に対応できず、計画の修正を余儀なくされる。その結果として株主・投資家からの批判を受け、現場も疲弊し、そもそも中計自体の存在意義が揺らいでくる、というものである。さらに、各事業部門からの積み上げ式の中計は経路依存性を生み、事業や人財のポートフォリオ変革の障害になる可能性も指摘されている。
 日本企業は海外企業に比べると「稼ぐ力」が弱いといわれる。その一因が、これまで緻密に、真面目に策定してきた中計であった可能性もあり、本稿では、中計を廃止し独自の開示形態に移行した企業の例をみてきた。これらの企業は、従来の固定概念(=中計)から脱却する道をみずから選択し、現在の自社の置かれた状況に合った方法で経営計画を見直し、あらたに策定・開示している。そしてこれを、社内外のステークホルダーとのエンゲージメントにおいて活用している。このような脱・中計の流れが、日本企業の稼ぐ力の強化へとつながることに期待するとともに、今後もこの動きを追跡していきたい。

Opinion Leader

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シニアマネージャー

Naoki Koyama

京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了、博士(人間・環境学)。製薬会社において、創薬研究、研究企画、経営企画、広報・IRに従事。企業が存在意義を持ち、インベストメントチェーンの中でどのようにして企業価値を高めて行けば良いかということを問い続けている。